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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)54号 判決

原告

株式会社クラレ

被告

特許庁長官

右当事者間の昭和53年(行ケ)第54号審決取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

特許庁が昭和53年1月17日、同庁昭和45年審判第9749号事件についてした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2原告の請求の原因及び主張

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和39年9月25日、名称を「嵩高にしてしなやかなウエブ状物質の製造方法」とする発明につき特許出願(特願昭39―54359号。以下「原出願」といい、この出願に係る発明を「原出願発明」という。)し、昭和43年9月10日特許出願公告昭43―21109号として出願公告されたが、特許異議の申立があり、昭和44年5月28日拒絶査定を受けたので、同年8月14日審判を請求した(昭和44年審判第6517号)。

その後原告は、昭和45年1月17日、原出願より名称を「不織布」とする発明(以下「本願発明」という。)を分割出願(特願昭45―4540号)し、昭和45年11月10日拒絶査定を受けたので、審判を請求し(昭和45年審判第9749号)、右出願につき昭和51年2月26日出願公告(特許出願公告昭51―6261号)がなされたが、特許異議の申立があり、特許庁は昭和53年1月17日「本件審判の請求は成り立たない」との審決をし、右謄本は同年3月16日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成された不織布であつて該繊維は相互に立体的に絡合せしめられており、前記抽出除去は混合紡糸繊維より不織布を形成せしめたのちに行なわれていることを特徴とする立体的な絡合不織布。

3  審決理由の要旨

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

ところで、原出願の明細書(以下「原明細書」という。)には、「前記工程に続いてウエブ状物質を形造る混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を溶剤によつて抽出除去する。かくして得られたウエブ状物質はそれを構成する繊維そのものが緻密な数多くの空間部分を有するものとなる」、「本発明において得られた成型物が微細な中空部分を無数に有するということは、成型物を構成する繊維相互間においてのみ成型物が空間部を有するということでなく、成型物を構成する繊維自身が中空部分を有することに基づくものである」、「かかる条件で製造した特殊中空糸は次の通りである」及び「本発明の成型物は成型物を構成する繊維それ自身が中空率70%程度までの中空部分を有している」と記載されており、これらの記載からみるとウエブ状物質の構成繊維は繊維自身が中空部分を有し、多条に分れた繊維でないことは明らかである。また、特に本願で多条繊維糸(繊維束)よりなる不織布の実施例としてあげてある実施例1に対応する原出願の実施例1は、6―ナイロン60部(すなわち60%)とポリスチレン40部(すなわち40%)よりなる混合紡糸繊維でウエブを形成し、該ウエブをトルエンに浸漬しポリスチレンを抽出除去してウエブ状物質(すなわち不織布)を作るものであり、この不織布を構成する繊維がどの様な繊維であるかは明示されてないが、この繊維は、請求人が特許異議申立に対する答弁書で示している第2図からも明らかなごとく、抽出除去されるポリスチレンが40%であるから、6―ナイロンの多孔の中空繊維(本願の蓮根状繊維に相当するもの、及び原出願の特殊中空糸に相当するもの)であり、多条繊維糸(繊維束)ではないと認められる。そして、その他に原明細書には、多条繊維糸が得られることについては記載されていない。してみると、原明細書には、2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維でウエブ状物質を作り、しかる後該ウエブ状物質を形造る混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を抽出除去して多条繊維糸とし、これによつて構成された不織布を製造することは記載されていないものと認められる。

また、請求人が特許異議申立に対する答弁書で提示したカナダ特許第631,395号明細書及び米国特許第3,099,067号明細書には、蓮根状繊維と多条繊維糸との関係については何も記載されておらず、また、蓮根状繊維を得ることが直ちに多条繊維糸を得ることを意味するものとは認められないので、多条繊維糸を得ることは原明細書の記載からみても自明な事項とは認められない。

したがつて、本願は、明細書の要旨を変更したもので特許法第44条第1項に規定された要件を満たしていないものであり、同条第3項の規定による出願日の遡及は認められない。

そこで、本願発明の特許要件について検討すると、特許異議申立人が甲第1号証(本訴甲第3号証。以下同じ。)として提出した、本願出願前に頒布された特公昭43―21109号公報には、2種の高分子物質よりなる混合紡糸繊維でランダムウエブを形成し、該ランダムウエブをニードルパンチングして3次元化(すなわち繊維を立体的に相互に絡合)し、しかる後1種の高分子物質を抽出除去して、多孔の中空繊維(本願の蓮根状繊維に相当するもの)によつて構成された絡合不織布について記載されている。

したがつて本願発明と甲第1号証記載の発明とを比較すると、両者はいずれも不織布が蓮根状繊維によつて構成されている点で一致し、両者は同一発明と認められるから、本願発明は、特許法第29条第1項第3号の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取消すべき事由

審決は、「原明細書には、……多条繊維糸によつて構成された不織布を製造することは記載されていない」と認定し、「したがつて、本願は、明細書の要旨を変更したもので特許法第44条第1項に規定された要件を満たしていないものであり、同条第3項の規定による出願日の遡及は認められない」と判断している。

しかしながら、審決の右認定は誤りであり、本願は、特許法第44条第1項に定める要件を充足し、同条第3項により、その出願日は、昭和39年9月25日と認定されるべきである。

以下、審決の認定と判断の誤りを指摘する。

(1)  本願発明の要旨は、2の項に記載のとおりであるが、右要旨を構成している各要件は全て原明細書に記載されている。

(1) 「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成された不織布であつて」との要件について

この要件については、原明細書(甲第4号証の2)の2頁下から6行ないし3頁1行に、

「簡単に言えば、本発明は次の工程すなわち繊維形成能のある2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維でシート状物質を作り……しかる後、該シート状物質から該シート状物質を形造る混合繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を抽出除去することになるものであつて、」

と記載されている。右記載では、「シート状物質」とされているが、原明細書の1頁7、8行及び10行には「シート状物質、特に不織布」とあり、又、同17行には「不織布のごときシート状物質」とあつて、不織布がシート状物質の典型例であることが示されている。

(2)  「該繊維は相互に立体的に絡合せしめられており、」との要件について

この要件については、原明細書の4頁13行ないし17行に、

「この工程における好ましい例は次の場合である。混合紡糸繊維を短繊維に切断し、この短繊維をランダムウエツパーによりランダムウエブを作る。次いでランダムウエブをニードルパンチして緻密化及び3次元化する。」

と記載されている。ランダムウエブにニードルパンチを加えると、繊維が3次元化、すなわち立体的に絡合せしめられることは言うまでもない。

(3)  「前記抽出除去は混合紡糸繊維より不織布を形成せしめたのちに行なわれていること」との要件について

この要件については原明細書の5頁14行ないし16行に、

「前記工程に続いてシート状物質を形造る混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を溶剤によつて抽出除去する。」

と記載されており、その「前記工程」が混合紡糸繊維から不織布を形成せしめる工程を指していることは、原明細書の右引用箇所に先立つ記載から明らかである。

(4)  「立体的な絡合不織布」との要件について

この要件が原明細書に記載されていることは、前記(1)ないし(3)、特に(2)により明白である。

右に明らかにしたごとく、本願発明の要旨はことごとく原明細書に記載されている。

そして、審決のいう多条繊維によつて構成された不織布も、本願発明の右の要旨を備えた不織布であつて、審決のいう蓮根状繊維からなる不織布とその点においては何ら異るものではない(なお、審決は原明細書中の「中空部分」ないし「中空」という用語のみを捉えて、それは「多条に分れた繊維でない」と述べているが、多条繊維糸も、繊維束として見た場合、それ自身が中空部分を有するのであり、審決理由が引用している原明細書の記載が、多条繊維糸についても妥当することは、多条繊維糸よりなる不織布についての甲第5号証添付の資料第2号(1)、(2)の写真によつて理解し得るであろう。)両者の差異は、本願発明の要旨を備えた不織布相互間の差異に外ならず、その差異は本願発明の右要旨中、「混合紡糸繊維より、少くとも1種の高分子物質を抽出除去する」に当つて、海成分を形成している高分子物質を抽出除去するか、島成分を形成している高分子物質を抽出除去するかの差に由来するに過ぎない。

しかるに、混合紡糸繊維が不織布とされた後、それを構成している高分子物質のうちの少くとも1種を抽出除去するには、溶剤が使用されるが、溶剤について、原明細書はいかなる溶剤を選んでいずれの高分子物質を抽出除去するかについて、何の限定をも加えておらず、「本発明において混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を溶解する溶剤は、混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質(溶出部分)に対し溶剤でありその余の高分子物質(非溶出部分)に対し非溶剤であることが要件となる。」(7頁18行ないし8頁3行)と定めているに過ぎない。

そして、原明細書のかかる記載に従って「混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成された不織布」を製造した場合、得られる不織布に、多条繊維よりなる不織布と、いわゆる蓮根状繊維よりなる不織布のあり得ることは、審決も否定していないし、原明細書の実施例1、同3の各追試によつて右両者のそれぞれ得られることは明らかなところである(甲第5号証―実施例1は多条繊維よりなる不織布であり、実施例3は、いわゆる蓮根状繊維よりなる不織布である)。審決は、「原明細書には、……多条繊維糸によつて構成された不織布を製造することは記載されていない」と認定しているが、その認定の誤りであることは明らかである。

被告は、甲第5号証の実験について、原明細書の実施例1、同3には、6―ナイロン及びポリスチレンについて「原料の特定についての記載はなく」、したがつて、特定の銘柄の原料を選んで行なつた甲第5号証記載の実験は、実施例の忠実な再現とは認められないと述べている。

しかしながら、甲第5号証の実験に用いられた6―ナイロン及びポリスチレンは共に、原出願の出願当時既に市販されていた銘柄が用いられている。かかる銘柄を用いた実施例の追試が、実施例の忠実な追試であることは多言を要しない。

(2) 審決は、原出願において「多条繊維糸を得ることは原明細書の記載からみても自明な事項とは認められない。」と判断している。

しかし、特許法は、明細書の発明の詳細な説明の項には「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載」すべきことを要求しているだけで、それ以上に出願時における技術水準に属し、当業者に自明な事項までをも記載することを求めているわけではない。

ところで

(1) 混合紡糸繊維においては、それを構成している高分子物質のうち、少量成分は島成分を形成し、多量成分は海成分を形成すること、

(2) 島成分は、混合紡糸繊維中で既に極細繊維状を形造つていること、

(3) その海成分を溶解除去すれば、極細繊維がその形状を保つて得られること、

及び、

(イ) 混合紡糸繊維の海成分と島成分とは同じ組合せの高分子物質の場合にも、混合割合いかんによつて異なり、多量成分の量が減少して容量比で45%以下になると、その高分子物質は島成分となり極細繊維が得られること、

(ロ) 混合紡糸繊維を形成している高分子物質のうち少量成分であつたものの量が増加して容量比で50%を超えても、55容量%までの場合は、他の成分を溶剤で除去することによつて極細繊維が得られること、

(ハ) しかし、右の場合、他の成分を溶剤で完全に除去することはできず、他の成分は幾分残存すること、

(ニ) 右のごとく、成分相互間の割合の差が僅かな場合には、いずれを除去することによつても他の成分の極細繊維が得られること、

が本願発明の出願当時公知となり、当業者の技術常識となつていたことが明らかである(甲第6、8号証)。

既に述べたとおり、原明細書には、混合紡糸繊維について、2種又は2種以上の高分子物質よりなることを規定するのみであつて、混合割合につき全く限定を加えていないばかりでなく、多量成分、少量成分のいずれを除去するかについても全く限定を行なつていない。そればかりでなく、発明の詳細な説明の項には、同じく6―ナイロンとポリスチレンとからなる混合紡糸繊維について、ポリスチレンが少量成分のものから、ポリスチレンが多量成分をなしているものまで、各種の混合比率のものを例示し、いずれの場合にもポリスチレンを抽出除去することを示しているのであり、ポリスチレンの量が増加して、「抽出により繊維状を保たず」、すなわち、得られる6―ナイロンの極細繊維が繊維状を保たなくなるに至るまでが、原出願発明に含まれることを示しているのである。

かかる原明細書の記載を、前述のごとき原出願の出願当時の技術水準に照せば、原明細書が蓮根状繊維と多条繊維糸のいずれであるとを問わず、それらによつて構成された不織布を開示しており、そのことを当業者が極めて容易に読み取ることの出来ることは明らかである。

かように、原明細書の発明の詳細な説明の項に記載されている前記の例示が不織布を構成している繊維には、多孔の中空繊維と多条繊維糸の双方の含まれることを開示していることは明らかであるが、このことはまた、7頁の「表」に示されている各繊維の性能を示す数値からも確認することができる。すなわち、右7頁の表には、6―ナイロンとポリスチレンとのおのおの異なつた混合比率による混合紡糸繊維からポリスチレンを抽出除去して得られた繊維の「抽出前繊度」、「抽出後繊度」、「ポリスチレン混合率」がそれぞれ示されているから、左式によつて、おのおのの繊維における『ポリスチレンの抽出率』を算出することができる。

(抽出前繊度)×(ポリスチレン混合率(重量比))=(繊維中のポリスチレン量)

その結果をポリスチレン混合率50%の前後のものについて示せば次のとおりである。

ポリスチレン抽出率

ポリスチレン混合率(%)

30

40

50

60

〔Ⅰ〕抽出前繊度(d)

3.0

3.1

3.0

3.0

〔Ⅱ〕抽出後繊度(d)

2.4

1.9

1.5

1.2

ポリスチレン抽出率(%)

66.7

96.8

100

100

ポリスチレン残留率(%)

33.3

3.2

0

0

備考

理論値(実際の組成量)

より少ない抽出率

完全抽出

上の「表」に示したとおり、「ポリスチレン混合率」が50%の場合と60%の場合には、ポリスチレンの抽出除去は完全に行なわれており、ポリスチレンの残留率は皆無で、完全な多条繊維の得られていることが明らかである。

(3) 審決は、その2丁表下5行目から同裏11行までにおいて、

「また、特に本願で多条繊維糸(繊維束)よりなる不織布の実施例としてあげてある実施例1に対応する原出願の実施例1は、6―ナイロン60部(すなわち60%)とポリスチレン40部(すなわち40%)よりなる混合紡糸繊維でウエブを形成し、該ウエブをトルエンに浸漬しポリスチレンを抽出除去してウエブ状物質(すなわち不織布)を作るものであり、この不織布を構成する繊維がどの様な繊維であるかは明示されていないが、この繊維は、請求人が特許異議申立に対する答弁書で示している第2図からも明らかなごとく、抽出除去されるポリスチレンが40%であるから、6―ナイロンの多孔の中空繊維(本願の蓮根状繊維に相当するもの、及び原出願の特殊中空糸に相当するもの)であり多条繊維糸(繊維束)ではないかと認められる。」

と認定している。しかし、6―ナイロンとポリスチレンとの混合紡糸繊維の構造を論ずるに当つては、この図のみではなく特許異議答弁書の第13頁及び第14頁の説明と併せて判断されるべきものであつて、審決は第2図のみをもつて本願実施例1の混合紡糸繊維の構造を判断したためこの様に誤認したものである。

第3被告の答弁及び主張

1  原告の請求の原因及び主張の1ないし3を認め、4を争う。

2  原告は、本願発明の特許請求の範囲の記載を4つの要件に分節して、各要件が原明細書に記載されているから、本願発明の要旨はことごとく記載されている旨主張している。

しかし、特許出願に係る発明の要旨とする技術的事項すなわち特許請求の範囲の記載事項の文言の意味、内容を解釈するに当つては、発明の詳細な説明の欄の記載事項を参酌して当然である。

そこで、本願発明の特許請求の範囲に記載されている「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高文子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成された不織布」についてみると「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維」の文言の意味する構成は、その発明の詳細な説明の欄及び図面の記載から繊維の長さ方向に空間部分ができた蓮根状の繊維と多数の極めて細い単繊維が並列的に配向された多条繊維糸(繊維束)を意味すると解して当然である。これに対して、原明細書中に「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維でシート状物を作り……しかる後、該シート状物質から該シート状物質を形造る混合繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を抽出除去することよりなるものであつて、」なる文言があつても、同明細書には抽出除去した結果、多条繊維糸で構成した不織布が得られていることを示す記載はない。

したがつて、多条繊維糸で構成した不織布が、原明細書に記載されていないので、本願発明の要旨を構成している要件が、原明細書にことごとく記載されているとは認められない。

3  原告が提出した甲第5号証実験報告書は、原明細書記載の実施例1、同3の全てについての忠実な再現とは認められないので、同実施例1では多条繊維糸よりなる不織布が得られていることは明らかであるという原告の主張は認められない。

すなわち、原明細書記載の実施例1、同3は共に6―ナイロン、ポリスチレンを原料とした混合紡糸繊維よりなるものであるが、甲第5号証実験報告書では、多条繊維糸又は蓮根状繊維を得るため、6―ナイロンとして、同実施例1の追試としては、グリロンA―1050(高粘度、甲第5号証添付資料第1号)を用い、同実施例3の追試としては、IB1013(中粘度、同上資料第1号)を用い、同じ6―ナイロンでも粘度の異なる原料を用いているが、原明細書記載の実施例1と同3にはその差異が記載されていない。また、原明細書には原料の特定についての記載はなく、特定の原料を選んで行なつた実験報告書が、同実施例1、同3の全てについての忠実な再現とは認められない。

4  本願発明の要旨とする技術的事項が全て原明細書に当業者が正確に理解し、かつ容易に実施し得る程度に記載されているとは認められない。

すなわち、本願の特許庁における審理段階で、原告が昭和48年10月4日付で提出した意見書(乙第3号証)において「2種以上の原料から混合紡糸繊維を製造した場合、どの原料が海成分になりどの原料が島成分になるかは、(イ)原料の混合比、(ロ)それぞれの原料の溶液粘度又は溶融粘度、(ハ)それぞれの原料の凝集エネルギーなどの要因によつて決まります。」と述べているように、混合紡糸繊維は種々の要因によつて、種々の繊維となると認められる。しかしながら、原明細書には、原料の混合比以外に、これら要因及び得られる繊維についての開示はない。そして、原明細書の記載から当業者に理解できる、不織布を構成する「繊維」は、多孔の中空繊維(蓮根状繊維)であつて、多条繊維糸ではない。

5  原告は、『審決は、原明細書中の「中空部分」ないし「中空」という用語のみを捉えて、それは「多条に分れた繊維でない」と述べている』と主張しているが、審決では原明細書に記載の技術内容を踏まえて、審決書1丁裏最下行ないし2丁表第16行に亘つて記載しているのであつて、原告の主張は妥当でない。

6  原告は、6―ナイロンとポリスチレンとからなる混合紡糸繊維のポリスチレン混合率が50%、60%の場合には、ポリスチレンは完全に除去され、完全な多条繊維糸が得られていることは明らかである旨主張している。

しかしながら、原明細書には、ポリスチレン混合率が50%と60%の場合、ポリスチレンが海成分を形成して、6―ナイロンが島成分を形成していること、またはポリスチレン抽出後の繊維が多条繊維糸であることを示唆する記載はない。

すなわち、原明細書の表(甲第4号証の1の第7頁)には、抽出前後の断面積の比の値が示されているが、仮りに原告の主張どおり、抽出後の繊維が多条繊維糸であれば、多条繊維糸の何をもつて断面積と特定するのか、また中空率49%や60%を有するという多条繊維糸の断面積をどのように測定するのか、その測定方法は理解できず、表に示された抽出前後の断面積の比の値は算出されないと思われる。

むしろ、抽出前後の断面積の比の値が算出されているから、抽出後の繊維の断面積が測定できたのである。そして、ポリスチレン混合率50%、60%の場合の抽出前後の断面積の比の値が0.97や0.98と1に近い数値であつて、蓮根状繊維が得られている場合(同混合率30%、40%)の0.98や0.99とほぼ同一値であることから、抽出後の繊維は蓮根状繊維に近い繊維であつて、多条繊維糸でないと思われる。

したがつて、原明細書に、混合紡糸繊維のポリスチレン混合率を50%、60%として、ポリスチレンを抽出除去することに関する記載があつても、かかる記載から多条繊維糸が自明の事項として示されているとはいえない。

7  原告は、(2)の項(1)ないし(3)及び(イ)ないし(ニ)に記載の事実は、原出願時において当業者の技術常識であつたと主張するが、それは原明細書の実施例1とは矛盾するので、原告の多条繊維糸に関する主張は信用できない。

すなわち、原告が技術常識であるとする「混合紡糸繊維においては、それを構成している高分子物質のうち、少量成分は島成分を形成し、多量成分は海成分を形成すること」、「混合紡糸繊維の海成分と島成分とは同じ組合せの高分子物質の場合にも、混合割合いかんによつて異なり、多量成分の量が減少して容量比で45%以下になると、その高分子物質は島成分となり極細繊維が得られること」という主張に従えば、本願発明の実施例1では、6―ナイロン(60部)が海成分を形成し、ポリスチレン(40部)が島成分を形成して、ポリスチレンを抽出除去することにより、6―ナイロンの蓮根状繊維となつて然るべきところ、細い繊維が集束体状となつた繊維(多条繊維糸)となつているというのであるから、原告の主張は信用できない。

8  仮に、原告が主張するような技術常識があつたとしても、以下述べるように、原明細書に多条繊維糸によつて構成された不織布が自明の事項として示されているとは認められない。

(1)  2種以上の原料からなる混合紡糸繊維の海成分と島成分は、(イ)原料の混合比、(ロ)それぞれの原料の溶液粘度又は溶融粘度、(ハ)それぞれの原料の凝集エネルギーなどの要因によつて決まるのであるから、単純に少量成分が島成分になり、多量成分が海成分になるといえず、溶融粘度によつては、少量成分が低粘度であれば海成分となり、多量成分が高粘度であれば島成分となる(乙第4号証)。このようなことは、原告が甲第5号証として提出した実験報告書の原明細書の実施例1の追試(同報告書第2章)からみても明らかである。該追試によれば、グリロンA―1050(高粘度、甲第5号証添付資料第1号、第189頁)の6―ナイロン(60部)とスタイロン679(良流動性すなわち低粘度、同じく資料第1号、第164頁)のポリスチレン(40部)とからなる混合紡糸繊維よりポリスチレンを抽出除去した繊維は、細繊維が多数本束ねられたものということであるから、多量成分の6―ナイロンが島成分を形成し、少量成分のポリスチレンが海成分を形成していることになる。

したがつて、原告が主張する技術常識が全ての混合紡糸繊維についていえることとは認められない。

(2)  ここで、原明細書に記載されている不織布を構成する繊維についてみると、不織布を構成する繊維が蓮根状繊維のような多孔の中空繊維であることを示す記載がある。すなわち、第5ないし6頁には、一方の成分を抽出除去した繊維の形態を示す記載があり、該記載によれば、その繊維は、「繊維そのもの微細な数多くの空間部分を有するもの」、「繊維自身が中空部分を有すること」、「中空部分の大きさは成形物を製造するに用いた最初の繊維の2種以上の高分子物質の混合比率に依存する」という、中空部分を有する繊維であるから、前記繊維が、本願明細書の第2頁第4欄に記載のような、繊維自身が空隙(空隙の形状は同じく第2頁第4欄第4ないし22行に記載されているが、この点原明細書には全然記載がない)部分を有する繊維というような広範な意味の繊維ではない。

(3)  そして、原明細書には中空部分を有する繊維として、具体例が、第6ないし7頁に、6―ナイロンとポリスチレンとをおのおの異なつた混合比率として、くり返しポリスチレンを抽出除外して特殊中空糸を製造することとして記載されている。

しかしながら、同明細書には、40%以下で島成分を形成していたポリスチレンが、50%を境として60%で海成分を形成して、ポリスチレンが島成分から海成分へと転換しているということを示唆する記載はなく、このように混合紡糸繊維の形態、ひいてはポリスチレン抽出後の繊維の形態が異なるという重大な事項であれば、そのことを記載して然るべきところ、かかる事項については全然記載されていない。

してみると、原明細書にたとえ6―ナイロンとポリスチレンよりなる混合紡糸繊維から、混合率60%のポリスチレンという多量成分を抽出除去することが記載されていても、この場合、いずれの成分が海又は島成分を形成しているか、又は多条繊維糸が得られていることを示す記載がない以上、多条繊維糸が自明の事項として示されているとは認められない。

この点、原告は、ポリスチレンは完全に除去されているから、多条繊維糸が得られていることが明らかであると主張しているが、ポリスチレンの混合率が60%と多くなれば混合紡糸繊維(短繊維)のほぼ全長に亘つてポリスチレンが島成分を形成して連続して存在し、かつ多くの部分を占めるので、ポリスチレンは溶剤で溶解され、混合紡糸繊維の両端から溶出されて、より抽出除去され易くなるから、くり返し溶剤で抽出除去されるうちに、ポリスチレンは完全に除去されて蓮根状繊維となることは容易に想到し得ることである。

したがつて、ポリスチレンが完全に除去されているからといつて、多条繊維糸が得られているとは認められない。

(4)  以上述べたように、原明細書に混合率60%の混合紡糸繊維からポリスチレンを抽出除去することが記載されているからといつて、原明細書に不織布を構成する繊維として多条繊維糸が自明の事項として示されているとは認められない。

9  原告は、原明細書には、混合紡糸繊維の混合割合につき全く限定を加えていないばかりでなく、多量成分、少量成分のいずれを除去するかについて限定を行なつていないので任意であるから、原明細書には、多孔の中空繊維と多条繊維糸の双方が開示されている旨主張している。

しかしながら、原明細書には、2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維で構成した不織布から、いずれの成分を抽出除去するかについての限定がないだけであつて、同一の不織布から任意にいずれかの成分を抽出除去するとは記載されていない。

仮りに、同一の不織布から、一方の成分を抽出除去し、他方の成分でなる多孔の中空繊維で構成した不織布と、逆に他方の成分を抽出除去し、一方の成分でなる多条繊維糸で構成した不織布を製造するというように、同一の不織布から任意に一方の成分を抽出除去して異つた構造の繊維で構成した異種の不織布が得られるという重要な事項であれば、かかる事項を明細書に記載してしかるべきところ、かかる事項を原明細書に記載していない。

したがつて、原明細書に混合紡糸繊維の高分子物質の混合組合わせ成分、混合割合及び抽出除去する成分を限定する記載がないからといつて、多条繊維糸で構成した不織布までが、原明細書に開示されているとは認められない。

第3証拠関係

1  原告訴訟代理人は、甲第1ないし第3号証、第4号証の1、2、第5号証、第6号証の1ないし13、第7号証の1ないし4、第8、9号証、第10号証の1、2、第11号証及び第12号証の1ないし3を提出し、乙号各証の成立を認めた。

2  被告指定代理人は、乙第1号証の1、2、第2号証の1ないし3、第3号証及び第4号証を提出し、甲号各証の成立を認めた。

理由

1  原告の請求の原因及び主張の1ないし3は、当事者間に争いがない。

そこで本件審決に、これを取消すべき違法の点があるかどうかについて考える。

2  前記争いのない事実及び成立について争いのない甲第2号証(本願公報)によれば、本願発明の明細書の特許請求の範囲は、事実摘示第2の2記載のとおり、すなわち、

「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成された不織布であつて該繊維は相互に立体的に絡合せしめられており、前記抽出除去は混合紡糸繊維より不織布を形成せしめたのちに行なわれていることを特徴とする立体的な絡合不織布。」

であると認められ、これによれば、本願発明の構成要件は、

(1)  不織布であること

(2)  右不織布は、2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成されていること

(3)  右繊維(少くとも1種の高分子物質を抽出除去した後残つている繊維)は、相互に立体的に絡合つていること

(4)  (2)の抽出除去は、混合紡糸繊維により不織布を形成せしめたのちに行なわれていること

にあると認められる。

一方、成立について争いのない甲第4号証の2(原明細書)によれば、原出願発明の明細書の特許請求の範囲は、

「2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維でシート状物質をつくり、所望によりシート状物質を緻密化し、しかる後シート状物質を形造る混合紡糸繊維を構成する少くとも1種の高分子物質を抽出除去することを特徴とする嵩高にしてしなやかなシート状物質の製造方法。」

であると認められ、これによれば、原出願発明の構成要件は、

(1') シート状物質の製造方法であること

(2') 右シート状物質は、2種又は2種以上の高分子物質よりなる混合紡糸繊維より少くとも1種の高分子物質を抽出除去してなる繊維によつて構成されていること

(3') 右繊維(少くとも1種の高分子物質を抽出除去した後残つている繊維)が形造る右シート状物質は、嵩高でしなやかなこと

(4') (2')の抽出除去は、混合紡糸繊維によりシート状物質を形成せしめたのちに行なわれていることにあると認められる。しかして、原明細書の1頁7、8行及び10行には「シート状物質、特に不織布」とあり、又、同17行には「不織布のごときシート状物質」とあるから、原出願発明のシート状物質は不織布を含むものと解される。

右のとおり、原出願発明と本願発明とは、方法の発明と物の発明というカテゴリーの差異があることを別として、その他の構成要件は全部同じものであるということができる(本願発明の前記構成要件(3)は、「右繊維は、相互に立体的に絡合つている」のに対し、原出願発明の構成条件(3)は、「右繊維が形造るシート状物質は、嵩高でしなやか」であつて、両者には、その表現上一応の差異はあるが、その差異は表現上のものに止まり、実質的なものではない。なお、原明細書の発明の詳細な説明の欄―4頁13行ないし17行―にも、繊維が立体的に絡合せしめられることが記載されている。)。

そうすると、本願発明は、原出願発明と実質的に同一であるというべきである。

被告は、特許請求の範囲に記載された文言の意味、内容を解釈するに当つては、発明の詳細な説明の欄の記載事項を参酌して当然であり、本願発明の明細書には、いわゆる蓮根状の繊維と多条繊維糸が記載してあるのに原明細書には蓮根状繊維の記載はあるものの、多条繊維糸についての記載はないから、本願発明の要旨を構成している要件が原明細書にことごとく記載されているとは認められない旨主張する。

しかし、原出願発明と本願発明とは、方法の発明と物の発明というカテゴリーの相違はあつても、その他の構成要件は全く同一であることは前認定のとおりであり、原明細書の特許請求の範囲の項には、原出願発明が多条繊維糸よりなる不織布(シート状物質)を除外する旨の記載もなく、且つ、特許法は、明細書の発明の詳細な説明の欄に、発明の構成として、実施例に、考え得るあらゆる形態のものを記載すべきことを要求しているわけではないから、原明細書が発明の詳細な説明の項中、審決指摘の文言を用いて、蓮根状繊維について説明しているからといつて、原出願発明が多条繊維糸よりなる不織布を除外しているものとみるのは相当でなく、本願明細書に原明細書に明示的には記載されていない多条繊維糸の記載があることを理由として、本願発明の要旨を構成している要件が原明細書に記載されていないものとすることはできない。被告の主張は理由がない。

のみならず、原明細書(6頁)には、「成型物を構成する繊維自身のもつ中空部分の大きさは成型物を製造するに用いた最初の繊維(これは2種以上の高分子物質よりなる)の2種以上の高分子物質の混合比率に依存する。その点につき以下1例をかかげて説明する」とし、ポリスチレンの混合率が5%から80%まで8段階、それに応じたポリスチレン抽出後の繊維の中空率等の表が記載してあり、一方、本願明細書(甲第2号証2、3頁)には、「不織布を構成する繊維自身のもつ空隙部分の大きさは不織布を製造するに用いた最初の繊維(これは2種以上の高分子物質よりなる)の2種以上の高分子物質の混合比率に依存する。その点につき以下1例をかかげて説明する」とあり、原明細書の表中、中空率とあるを空隙率としたほかは原明細書の表と全く同じ表が掲げてあることが認められる。この事実によれば、本願発明が本願明細書記載の方法によつて製造された多条繊維糸を含むものとすれば、原明細書にも多条繊維糸についての開示がなされていたものと認めるべきことは、当然である。

右のとおりであり、本願発明は原出願発明と実質的に同一であり、その点で結局分割の要件を満たしていないと考えられるが、審決は、本願は原明細書の要旨を変更したものであるから、出願日の遡及は認められないことを理由として、結局本願発明は特許法第29条第1項第3号の規定によつて特許を受けられないとしたものであり、審決の右判断は誤りであつて、違法であるから、その他の争点についての判断を省略して、審決を取消すこととし、訴訟費用は、敗訴の当事者である被告に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(高林克巳 楠賢二 杉山伸顕)

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